Jan 31, 2011

Life現代ゼミナール vol.1 -承認社会の承認されない私−


毎月最終日曜日の深夜にTBSラジオで放送している、
文化系トークラジオLifeのイベントに行ってきました 。

大人気の番組だし、初めての「講義形式」のイベントということで、チケットはあっという間に完売。

仕事中、奇跡的に(?)集中力が切れたときに
twitterで追加発売を知り、打ち合わせを2分遅らせてまでe+と格闘して、どうにかチケットを手に入れました!

ふう、よかった。

追加チケット発売時刻(会議開始時刻)に

「今手が離せないんで!( ー`дー´)キリッ」と

部長に言い放った私は、さぞかしできるOLに見えたことでしょう。。たしかに、チケットへの執念は眼を見張るものがあるはずです。うむ。

さて当日。あまりに嬉しすぎて、
会場のある白金高輪に早めに行ってランチを食べようと、
食べログでいろいろ選んだり、持っていく本を選んでいたら、

時刻は15:30….
(たしか、開場が15:30で開始が16:00…)

「ふぁああぁああっく!!」と叫びながら(twitterで)
慌てて滑り込みました。はらぺこでしたが、どうにか間に合った。
高井戸でよかった、と思うのはこんな時です。交通の便がよいので。

↓プログラムは、こんなかんじでした

1.チャーリーの講義(承認社会とは何か)
2.橋本努さんの講義(承認か、それとも自由か)
3.サブパーソナリティ陣を含めてしゃべる(←いつものラジオ風)
4.客席やロビーでざっくばらんにおしゃべり?
5.飲み??

残念ながら、3までしか居られなかったのですが、
それでも思うところがいろいろありましたので、つらつら書いていこうと思います。

まず、いきなり、内容とは関係がないのですが、
会自体の感想から一言でいうと、
「完全オフラインのリアルイベントの窮屈さ」を感じました。

感じました、というか、そう感じる自分を発見しました。

お話中に、いろいろと言いたいことはあったのですが、
手を上げて、知識人達のハイスピードの議論を邪魔してまで
言いたいってほどではないので、
そのまま押し流されてしまい、ちょっとお口がむずむずでした。

議論の最中、チャーリーさんは司会進行をしながら、
PCでメモをとっていて、それをスクリーンに写していたのですが、
参加者の心の声も、そんなふうにスクリーンに写せたらいいのに、とちょっと思いました。
言わば、顔の見えるニコニコ動画です。
みんながわーって思ったことを一個に集めて見えるようにして、
議論の中で、パーソナリティ陣が「これは」と思うものがあったら拾ってみたり、
それを書き込んだ参加者にマイクを渡して意見を詳しく聞いたりする。
そういうイベントやったら面白いんじゃないかな、なんて勝手なことを思いついて妄想してニヤニヤしてました。

で、肝心の内容のことを。
「承認社会」についてチャーリーと橋本さんが全く違う立場から講義形式で述べたあと、サブパーソナリティ陣も含めて議論する、という流れだったのですが、なにしろ、聞きなれない「承認社会」という言葉。そして、わかったつもりになっても幅が広すぎて「あれ、で、承認社会ってなんだっけ」と、なんども手から滑り落ちてしまうので、なかなか腹落ちさせて自分の考えをまとめるのが困難でした。
つくづく、登壇者各位の頭の回転の速さに敬服しました。
あ、いきなり文章が硬くなりました。
それくらい圧倒されたのです、議論のスピートと密度に。多分、普段のラジオもそんな感じなのでしょうが、生で見る迫力がありましたね。

で、すごくこれ、発想が小さくなってしまうのでよくないと思ってはいるのですが、私がどう「承認」ってモンを捉えているかと言うところを考えてみました。(ホントはもっと客観視した論が展開できるようになりたいのですが、ね…)

私は、承認に伴う責任から逃れようとしながらも、「完全なる承認」を求めてネットに自分を晒そうと足掻いています、ということが分かってきました。

まず、承認に伴う責任、についてですが、これはチャーリーが言っていた、積極的承認によって生まれるものだと思います。この責任というのは、俗にいう「社会人としての責任」ってやつかもしれません。

節度のある行動をとります、売上を上げます、WEBビジネスについてめっこり考えます。生み出します。で、給料をもらう。給料を貰っていることで、クレジットカードは簡単に作れます。保険証を持っています。職業欄には、必ず丸をつけるべき選択肢が用意されています。まさに、社会的に承認されている訳です。

これはとっても「幸福な状態」で、ありがたい限りです。が、その代わり、縛られている状況ではあるのです。

縛られているところからちょこっとはみ出している部分の私は、橋本さんの「承認されたいなんて言ってんじゃねぇよ、ヘタレが。」(←注:意訳です!もっと知的でものすごく穏やかな口調でしたっ)というお話に、とても共感するところがありました。

誰にも承認なんてされなくっていいね!自分の思うとおり、自由に生きたいんだ!!なんて思うのです。

でも、本当にそれを求めているのか、と思うと、それも違う気がします。「この人には承認されたい!」と私が選んだ人には、「自由な本当の私、私が理想としている私」を承認してほしい、とどこかで願っているように思えてなりません。さらに、自分らしい充実した状態である私を見付け出して承認してくれる人がいたら、こんなに嬉しい事はない!とも思うのです。

さあどうしよう。

じゃあ、自分が好き放題出来る場所で、誰かとつながれそうなところを探そう!

というところから、ネット上に自分をさらけ出そう!という発想にいたるのです。キモイ、うざいと言われても、どん引きされても自分を貫き通す場所として、ネットはお手軽&効率的です。
twitterでは、憧れの人と直接言葉のやりとりをできるチャンスがありますし、ブログやサイトには自分の考えなんかを思うがままに書けます。ソーシャルメディアと、そっからランディングさせる、自分の住処のような場を用意しておけば、いくらでもコミュニケーションが生まれるし、自分が望む承認をされるチャンスなんていくらでも生み出せる気がします。多くの人と接する機会があって、リンクを貼れる場と、そこから迎え入れる受け口を用意しておけば、何でも

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