なぜ神聖かまってちゃんなのか?

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どこにもぶつけられない悲しみを、ここに叩きつけます。。

両国国技館での神聖かまってちゃんのライブ、行けなくなってしまいました(´;ω;`)

会社員だから仕方ないのです。むしろ、今までこういうことが起こらなかったことの方に感謝すべきで、誰が悪いわけでもない。あえて言うなら会社員やってる自分が悪いってなもんで。でもやっぱ悲しいなぁ…。
安定している熟練のバンドだったら、ここまで残念ではないだろうけど、彼等の場合、日ごとに変化をしている。勢いがあるから、一度見逃すのが本当に惜しい。

なぜ神聖かまってちゃんにここまでハマってしまっているのか。
悲しみを乗り越えるために書いてみます。

はじめは、YouTubeで見つけたライブ映像で、次に「夕方のピアノ」のPVを観ました。演奏は下手くそだし、歌も怒鳴ってるし、「死ねー!」って叫んでるだけだし、何だこれは、と思うんだけど、なんとなく引っかかって、度々なんとなく動画を探してみるようになった。

そこで「これは」と思ったのは、街頭ライブ配信の動画。

「お前らのインスピレーションになれば!」にはっとした。

の子は他のところでもよく、「自分がこうやって音楽をやっているように、お前らもなにかやればいい」ってことをよく言ってる。

今、こういう言葉を聞くと、すごく刺さる。

会社というところに入ると、小学校や中学校でぶち当たったのと同じ種類の、人ととの関わり方の問題にぶち当たる。小中学校では、自分と価値観の合わない人たちは「バカだ」と決めつけて(便宜的に、です。)とにかく勉強をすればよかった。勉強をすれば、分かってくれる人たちの中に入れる。自分がいいと思う自分でいられる居場所を手に入れられる。そうやって居心地のいい高校、大学と進んでいくと、「社会にでる」という段階がやってくる。そうすると、小学校、中学校で違う選択をしたような人たちと再会することになる。一緒に同じものを目指す、ということになる。
自分がこれまでやってきたことの価値を疑うこともあるし、どんなに言葉を並べても、全く伝わらなかったりする。「違う人達」とどうやって対峙すればいいのか全然分からなくなるときもある。

そういうとき、どうすればいいんだろう?

やりたいことをとにかくやって、馬鹿にされても嫌われてもとりあえず、信念のままにやって見たらいいんじゃないだろうか?

そう思いかけていたときに、神聖かまってちゃんの存在がなんとなく背中を押してくれているように感じたのでした。特に、渋谷の行き交う人に向かって、叫び続けて補導される、の子の姿を見て、もうちょっと吹っ切れてもいいんじゃないか、と思ったのでした。
補導はされないほうがいいと思うけどねっ。


破れかぶれでもヤケクソでも、ムチャクチャ面白くって元気になれるものがやっぱり好きなんです。

「 死にたい気持ちを”死ね”と還元して!」
「殺したいヤツがいるケドそれが出来ない!だからここに叩きつける!!」

この前のライブでは、「死ねよ佐藤」っていう歌詞の『夕方のピアノ』の時にこんなことを言っていたけれど、「死ね」とか「殺す」とか「死にたい」とかいう、誰もが言いたいけど言わないで押さえ込んでるようなことをおもいっきり叫んで、しかも全部「生きたい!」っていうプラスのエネルギーに還元している神聖かまってちゃんの音楽は、やっぱり元気をくれるなぁ、と思うのです。

たけうちんぐさんのライブ映像も、の子のデモやPVも、いいんだけどやっぱりライブが一番元気になれるんだよね…。

うん、国技館の次のライブに期待だー!れっつごー武道館!
 

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