隅のほうからこんにちは。

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個性的、という言葉に敏感に反応する方である。

自分が、ついつい礼儀正しいこと、普通のことをしてしまう、ごく常識的な人間であることを自覚しながらも、さも自分の世界観があり個性的な人間であるかのようにごまかしている。
特に誰もごまかせてないと思うが。
そこまで、私に興味のある人もいないと思うが。

単に目立たなくておとなしい、ちょっと扱いづらいOLである。

こんな私でも、高校生の時は自分を個性的であると信じていた。なぜなら、高校が普通科の「個性化コース」なるものだったからだ。個性化コースの生徒である以上は、私は個性的なんだと思っていた。

高校の個性化コースの高校だ、なんて言うと、高校生たちが個性と個性をぶつけ合って切磋琢磨してそれぞれの個性を高め合うのかい?と思われるだろうが、そのとおりだった。

中学までの狭いコミュニティーで「個性的だ」と言われていた生徒たちが、次々と個性合戦に敗北し、思春期も相まって壮絶なアイデンティティ・クライシスを経験する。そして、そこから立ち上がるべく、地道な努力で強靭な個性を育てる。それが、個性化コースだ。

あんなにも、周りに変な人ばかりがいて面白い環境というのは、得難いものだったんだなぁ、と最近たまに思い出す。

社会に出て、良心的な企業に務める以上、同僚はみな常識的で、素直で、たぶんエンタの神様で爆笑することができる。(エンタの神様で爆笑できるかどうかは、良心的な一般人として生きていける人間力があるかどうかのバロメーターだと思うんだけど、もう古いよね。今だったら何に例えればいいんだろう。テレビが無いから分からない。)

なんであれ、悲しいことに、テレビを買ってきてエンタの神様で爆笑できるように人間力を鍛えるつもりがないので、これはもう面白い人探しの方に全力をかけた方がいいんじゃないかと思う。

春だし。変態の季節なので、出会いの確率は上がる。

恋愛じみたことを何個かしてみて分かったんだけど、自分の変態性が育たないうちに誰かと付き合っても、抑圧感を感じるばかりで何にもならない、ということが往々にしてある。自分の変態具合が不明だから、何を主張していいのか分からないし、自分に分からないものを相手が分かってくれるはずもない。だんだん相手の理想に閉じこめられてしまって自分を失う。

独りで、そのまんまでいてみて、それでも分かってくれる人が現れるかどうか。そこに賭けてみる方が毎日は楽しいかもしれないね。もしかしたら死ぬまで孤独かもしれないし、60歳で出会うかもしれないし、明日出会うかもしれない。
一生のうちに一人、本当に分かってくれる人に出会えたら、それで十分だと思います。 賭けの人生の方が楽しいはず。

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