部屋

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庭に木や草が生い茂る一軒家で、夕方になると風が吹き抜ける縁側が気持ちよく、あちこちから猫たちが集まってくる。首輪をつけたものも、ところどころ毛が抜けて野性味あふれるものもいる。アップライトのピアノとフルートがリビングの隅にいつも待機していて、奥の和室には壁一面の本棚。日本文学とラテン・アメリカ文学を中心に、旅をテーマにした本、写真家やアーティスト、もしくはその妻が書いた夫婦についてのエッセイ、写真集なんかがざっくばらんに押し込まれている。お客さんが来るときは、部屋を仕切るふすまは全部開けて、特に何も隠さない。夜になると虫やねずみ達が屋根裏やキッチンを闊歩し始めるけれど、お客さんはたいてい夜になるまえにかえってしまうから、特に問題ない。冷蔵庫には野菜のお漬物とかパスタソースに使える材料がひと通りあって、喋りながらさっと作れる料理を出す。飲み物は、たぶん夏なら麦茶、冬なら煎茶で、お酒はきっと出さない。優しくゆったりと空気が動いていて、スッキリとしたお茶を飲む。何も起こらないうちにすっかり終わってしまったような感じもするし、単にまだ何も始まっていないだけかもしれない。

金曜日にライブに行ったんだけど、どうしても仕事モードが抜けなくて、楽しみながらも全然関係ないことをあれこれ考えてた。そこでハッとする瞬間があって、ステージと客席は向かい合っているはずなのに、歌い手がこっち側にいて同じ方向を見ているような、歌詞が半分自分の中から出てきているかのような感覚だった。感動すると同時に、私が抱える致命的な問題に気づいてしまった。

少し前に、曲に歌詞をつけるチャンスを頂いたことがあるんだけど、その時の私の書いた言葉はどうもぱっとしなくて、歯がゆくて嫌になってしまった。あまりにもひとりよがりな内容で、入り込む隙がない、固くなで可愛くない言葉だった。ひらけていないな、という感じがした。窓もドアも閉めきった部屋みたいで、中に何があるのか全く想像させない。いろんなもので散らかっているのかもしれないし、何も無いのかもしれない。問題なのは、そこに何があるのか自分でも分からないし、分かろうとするつもりもなかったということだ。

そんなことを考えながら、数カ月前に図書館で予約した村上春樹の『雑文集』を読んでいたら、まさにそういったことを(思い込みかもしれないけれど)書いている一節があった。

うろ覚えだけど、「小説家というものは物語をつくるのが仕事だが、物語をつくるというのは、自分の部屋をつくるようなものだ。そこにお客さんを招き入れて、まるで自分の部屋であるかのように感じてもらうということが小説家の役割だ」…みたいなこと。(ちゃんとメモしておくつもりだったんだけど、今日は眠りすぎて何もやる気になれず、しかも予約が殺到している本なので返却期限に返したくて、寝ぼけたまま返してしまった。もちろんすぐ後悔して再度予約した。33人待ちの最後尾になってしまったので、また手元に来るのは3ヶ月後くらいかな…?)小説に限らず、物語を持つもの、音楽、歌、映画…何でもそうなんじゃないかと思う。

ってなわけで、「部屋」の比喩をそのままつかって自分の部屋を想像してみたんだけど、やっぱりうまく行かなかった。なにか、肝心なことを避けるようにして当たり障りの無いところだけ書いてるようで、まったく信用ならない。なにか文章を書くたびにこうやってがっかりするけど、懲りずに書いていこうと思います。とほほ。

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