切実な言葉

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文章を書いていても、しゃべっていても、本当のことを言っていない感覚があったんだけど、ようやくその理由を探し当てられたような気がしています。マジックレアリスムに憧れて、寺山修司の童話が好きで、童話のような戯曲を書いていられた高校時代は良かったけれど、次第にそれじゃない何かを探すようになってきた。ここにないものを見るということ、自分の感覚からしか生まれ得ないモノを形にするということ、そういったものにあまり意味を感じなくなってしまって、言葉がうわっすべりした文章しか書けなくなって、そこから動けずにいたのはなぜなのか。

通っているパブリックリレーション講座に、今回はゲストで森山裕之さんが登壇しました。

文化系トークラジオの「モリヤマさん」だと言えば分かるという人もいるかもしれないけれど、私たちの世代がQuickJapanを読んでいたまさにその時に編集長を勤めていたのが森山さんです。

今日は2時間たっぷり、森山さんと東京ピストル草彅さんとの対談で、いくつもの重要な言葉があってすごく面白くてあっという間に時間が過ぎた。講義のメモは過去最高の文字数になった。あとでちゃんとまとめてみんなに伝えたい。中でも、今の私にグッときたのは、「切実さがなければ面白く無いしグッとこない」という意味の言葉。感動した割にちゃんとメモしていなくて正確になんとおっしゃったのか分からないけれど、森山さんは「カルチャー」だとか「アート」だとかいう、浮世離れしたことばかりのカルチャー誌が全くつまらなくなってしまった時期があったという。その結果たどりついて、毎週欠かさず買っているオモシロイ雑誌が『東洋経済』だ、というお話だったのだけど、この「切実さ」がなければ全く面白くない、というところが分かりそうで分かっていなかったため、衝撃だった。

森山さんは、雑誌の企画を考える時、雑誌が発売する○年○月に求められているもの、その時代に必要なのはなんなのか、ということだけを突き詰めて考えるといいます。この雑誌のイメージが、とか、この雑誌のやり方が、といったフォーマットにはめることではなく、ちゃんと時代の流れを読んで、自分の感覚ももちろん大切にしながら、その時代に求められる、正に必要とされるものを必要とされるタイミングで編集して出すということ。それが編集者の勤めだという。「空気を読む」というと悪いイメージがあるが、空気を読んでその場に埋もれるように必要なことを隠してしまうのがいけないのであって、空気を読んだ上で、その時本当に求められているものをしかるべきタイミングで出すということは、編集者にとって何よりも大切なこと。企画を編んで出すのは編集者だけど、それを言葉に落とし込めば批評家だし、物語なら小説家や漫画家かもしれない。必要なのは、その時、その瞬間に本当に求められているものをちゃんと出すということ。

切実な言葉というのは、普段体裁を整えながら生活する上では、声にすることができない言葉なのかもしれない。声に出すことで誰かの反感を買ったり、女子力を失ったりすることなのかもしれない(これは女子にとって本当に難しく怖いこと)。自分でも持て余すような感情だとか、もう本当にどうしようもなくて困っていることだとか、解決の糸口が見えなくて世の中の誰もがタブー視しているようなものだとか、そういったモノを明るみに出して、形にして見せること。どんな反発があろうとも、誰かにボロクソに怒られようとも、必要なことだったらやったらいいんじゃないかな、という、シンプルで前向きな気持ちになりました。

貧乏ブログを書くと確実に人を傷つけるからやめようか、と思っていたけれど、不況になると若者向けの補助がまっさきに打ち切られて給料を下げられるという現実は確かにあって、しかも自分の金遣いが収まるところをしらず年々激しく荒ぶれていく、という現実もある。あとは結婚にまつわる不安。昇進だってできるし独立してやりたいことをやってもいい、私には無限の未来が広がっている!という前向きな気分の時と、ひとりで輝いていられるのは若いうちだけで、気づくと疲れてシワだらけで一人ぼっちで誰にも見向きもされず、透明人間のような晩年を送るのかもしれない、そして今、自分を騙して世間の枠にはめなければ、幼い頃の女の子な私の夢をすべて踏みにじってしまうのかもしれない、とても暴力的な生き方をしているのかもしれない、という不安に押しつぶされる時が交互に押し寄せる日々、これも現実。会社組織の非効率さ、政治に言いたいこと、いろいろあるけど言わないこと、そういうものからこそ、オモシロイものが生まれるんじゃないかな、なんて、ちょっと前向きな夜です。酔っ払ってます。

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