Oct 25, 2011

ピナ3Dはネタじゃなかった


今日は会社を抜けだして、今のところ何よりも大切な予定に向かった。とはいっても、たまたま抽選にあたっただけではあったのだけど、結構忙しい(ミサワ)日々の予定を全部ぶっちしてでも行きたかった。

向かった映画のタイトルはヴィム・ヴェンダース監督の『ピナ3D』。

ピナが、3Dで、しかも監督がヴィム・ヴェンダース…。

正直意味が分からないこの企画…。

数年前から不安と楽しみなのと入り混じった感じで日本公開を待っていたのですが、

東京国際映画祭の招待作品になっていて、なんと監督のヴィム・ヴェンダースも来日してるというので

抽選に応募したらあたったわけです。強運。

製作発表は、たしか2009年にピナが亡くなった数カ月後だったんじゃないかと思うけど、ちょうど、ピナを失った悲しみの涙が乾いた頃に「ピナが3Dで蘇る!」的な話を聞いて、「やば!マイケル超えた!」と思ったのを覚えている。

ピナ・バウシュはドイツの振付家でダンサー。「タンツ テアター」とか「ダンス シアター」とかで適当に検索してみてください。演劇とダンスをうまく融合させて、もっと劇場のあり方とか、身体のあり方とか、そういう次元に行けないかと無謀なことを考えていた高校・大学時代に、もっとも影響をうけたのがピナだった、ような気がする。テンションが上がっているので大げさかもしれないけど。

ピナが率いた「ヴッパタール舞踊団」は、国籍も民族もさまざま、身長も年齢も見事なほど違う個性的なダンサー達から成っていて、世界のどこかの土地をテーマに作品を作り、世界中で公演して回る、というようなことをしていた。日本をテーマにした『天地』という作品はなぜか見逃してしまったけれど、そのあとに日本で上演した『パレルモパレルモ』『フルムーン』『カフェミュラー』『春の祭典』は、期間中何度も劇場に通って観た。お金が無かったけどバイトしてS席(高い)のチケットをとっていた。(関係ないけどピナファンとして有名な楠田枝里子がいつも劇場にいるから、今までで一番回数多く見た芸能人は楠田枝里子かもしれない。どーでもよくてすみません)

だから、2009年にピナが急逝したときには目の前が真っ暗になった。

ちょうど社会人なりたての6月だった。

毎年の来日を楽しみにしていたのに、それがなくなる。

舞台のことばかり考えていた時代が、決定的に損なわれてしまった感覚だった。

そうして呆然自失としていたら、ヴィム・ヴェンダースが3Dで映画化するという…!

やってくれるぜ!さすが!っていうか意味分からん!!

ちなみにヴィム・ヴェンダースは大好きな監督。国際映画祭っていってんだから、舞台挨拶するだろー、と期待していたら、ちゃんと来てくれました!!!生ヴェンダース!!!

巨匠と呼ばれているし、どんな人かと思ったら、知的で、ユーモアがあって、ちょっとおちゃめな紳士でいらっしゃいました。まさに、作品から受ける印象そのもの。髪型はちょっと変。

「この晴れ渡った空の東京から、皆様を連れだそうと思っています。みなさま覚悟していますか?連れだす先は、ドイツのミニチュアの街です。」「でも、安心してくださいね、ちゃんと映画の終わりには皆様を東京に戻して差し上げますよ。戻ってきた東京も、今と同じように晴れてたらいいですね。」

最初の挨拶からすごい。わくわくする。(英語わかんないから意味違うかも)

そして、ピナと出会った25年前の話。ピナの作品に感動して「あなたの映画をとりたい!!!」と意気込んで言ったヴェンダースだけど、いざやろうとするとやり方が分からなくて、悩んでしまったらしい。「映画はまだ?」とすら聞かれなくなって、ただピナがひょいっとまゆげを上げると、ヴェンダースが肩をすくめる、というやり取りを20年以上繰り返し…。あらゆるダンス映画を観たり、色々と考えても分からなかったのが、3D技術に出会って「これだ!!!」と確信してすぐピナに電話したのが2009年。扱う作品を選び、さあ撮影の準備だ、という所で急にピナが亡くなってしまった。癌だと診断されて、数日でのことだった。一度は撮影を断念しようかと思ったそうだが、ダンサーたちは、亡くなった当日から、泣きながらでも踊っていた。その姿をみて、「ピナと映画をつくることはできなかったけれど、ピナのために映画をつくることはできる!」と、撮影を決めたそう。

「3Dなら空間そのものを撮れる。」というのが、3Dで撮影しようと決めた理由だとヴェンダースは言っていたが、作品を見てその意味がよく分かった。

ピナの作品は、さまざまな身体、ダンサーの個性を引き出した独特の動きももちろんだけど、空間そのものが作品にとって非常に重要な意味を持っている。例えば、『フルムーン』では舞台上には大きな岩があって、大雨が降って平泳ぎできるくらいの水たまりができるし、『春の祭典』では舞台上は土まみれ。『カフェミュラー』では舞台いっぱいにイスとテーブルがあって、緩やかに踊るダンサーの周りで、激しく音を立てながらイスをどける役が必要なくらい。そうした、舞台で見せていた空間というものを、3Dでみると、箱庭の中でダンサーたちが動き回っているような、独特な感覚でみることができる。舞台で感じるダイナミズムの代わりに、空間全体を手のひらに載せられる感覚や、決して舞台では観られない、ダンサーの顔のアップ、聞こえないはずの息遣い、スカートの揺れ、汗の粒の一つ一つが鮮明に観える。これは新しい発見だった。

だけど、3Dというオモチャを手に入れたヴェンダースが、そうした舞台の再現だけで満足するはずがない。

ダンサーたちを、街で、断崖で、森で、川で、タレルの作品っぽい建物で撮る。個性豊かなダンサーたちの、キャラクターが見て取れるような見事なダンスと、彼等の顔のアップ、時にはピナについて、舞踊団について語る声を交互に映す。それに、映画好き、ヴェンダース好きなら思わずニヤッとする演出もあったり…。

発見に満ちた、幸せな100分を過ごしました。

観た後の感覚としては、ピナの作品を観た後いつも感じる、ふんわり優しく、何気なく吹く風も心地よく感じられるような、自分が数段女性らしくなったかのような感覚があって、そこにヴェンダースの、知的だけど人間らしくってついつい好きになっちゃうような感じがうまく溶け合っていたみたい。

ピナだったら、この映画をみたら何というだろうか。

すごく喜びそうな気がする。

だけど、ピナがもし生きていて、ヴェンダースと一緒に作る、という状況だったら、全く違う物になっていたんだろうな、と思うと、ついつい妄想してしまうね。

Posted in 日記1 Comment » 

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コメント1件

 ふじいあゆみ | 2012.02.04 21:02

ブログ投稿、ありがとうございます。とても参考になりました。
これからも読ませて頂きます。
ところで、yasmeengodder(http://www.yasmeengodder.com/)というイスラエルのコレオグラファーはご存知でしょうか。日本ではストロベリークリームと火薬という舞台を2006年に観たと記憶してます。2009年の来日を観落として以来、日本では観ていませんが、とてもスバラシイです。

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