2010年の公開時からずっと気になっていた映画ですが、4時間38分という超絶長い上映時間のために、なかなか観に行けずにいました。
下高井戸シネマで上映してくれたお陰で、クリスマスの日にようやく観ることができました。
クリスマスに限らず、映画を観ることと時間の関係についてよく考えます。
1日=24時間というのは決まっています。その限られた時間の中で映画を観るということは、
人生のうちのある一定の時間を人に預けることじゃないかと思っています。
読書や家でDVDを観るのも同じかもしれないけど、
映画館で観るからこそ、映画にこめた作り手たちの思いや作品に費やした時間としっかり向き会えるような気がするので、
私はなるべく映画館で映画を観るようにしています。
「時間を預ける」と考えると、自然と観る映画選びも慎重になるものですが、
この4時間38分という上映時間は、なかなか観に行くのに勇気がいるものでした。
大学の同級生が助監督として関わっているのと、映画好き(ということになっている)の意地もあり、
オール明けの重い頭を引きずってお隣の映画館へ行きました。
行って良かった。
本当に観て良かったです。
一度と言わず、今後も機会があったら観に行きたいなと思います。
劇場には、なんと70回もこの作品を観ているという強者がいましたが、
そこまでいかなくても、恋人ができたり、結婚したり、転職したり、昇進したり、といった
日々に変化が起きたときにはもう一度観たいな、と思います。
きっと見えてくるものが違うはず。
殺人の被害者と加害者、孤独な人、どこか壊れてしまった人…
さまざまな人の人生がちょっとずつ交差していく、群像劇です。
絶対に許せない、殺してやりたい相手への憎しみにかられてしまったりとか、
奇跡のように人と心が通じ合う瞬間があったりだとか、
さまざまな瞬間瞬間の人との関わりが連なって
時間はただゆっくりと進んでいく。
幸せな時がずっとずっと続いて欲しいと思っても、
そんなことはなくてすぐに過ぎ去ってしまう。
憎しみですら、どこかに忘れてしまうこともある。
ずっと頭から離れない苦しい思いを抱えながらも、
そのまま進まないといけないこともある。
でもたまに、奇跡の瞬間があって、人と分かりあえたり、心が暖かくなることもある。
そういう、たくさんの人の「人生」を、丁寧に描いた作品でした。
キライだった人と再会したら突然仲良くなれてしまったり、
人の打ち明け話に共感できなかったのに、あるとき突然分かったりするように、
この作品のどの部分が琴線に触れるのかは、観るタイミングによってガラっと変わりそうです。
わたしはこの映画をみて自分の傲慢さとか粗野な部分を反省して
感謝にみちたホワイトな感じのフィーリングになったので、
ちょっと調子に乗りそうになったら、戒めとして観たいと思います。
特に印象に残っているのは、
「怪物は寂しかったから人に近づきたかった。でも近づくと、人は逃げていった」というような言葉で語られているような、
大事にしたい人には近づきたい。でも近づくと、なぜか傷つけてしまうというところですかね。
殺人犯のことだけじゃなくて、あらゆる局面でそういう部分が見えてきました。
それと同時に、心が通じる瞬間の奇跡的な美しさというものも感じました。
哀川にとっての恭子のように、誰かをちゃんと理解してあげられるような、強くて優しい人になりたいものですねー。
うーん、むりですけどね。
涙が止まらなかった新宿のイルミネーションのシーン。
見覚えがあるから、3年前くらいかな?
ちょっと前の、自分がいた場所が映画に映されると、なんだかよく分からないけど込み上げてくるものがありました。
(これが「サウダーヂ」?)
あと、長い映画だから休憩時間があって、その時にエリック・サティの音楽が流れていました。
映画にじわじわ心かき乱されまくりの状態でサティを聴くと、
すごく辛くてびっくりした。
サティの音楽は、「家具の音楽」ってのがあることからも分かるように、
ちょっとした風変わりな置物みたいに「周囲にあるもの」であって、その場で何かを表現する、「中心にあるもの」ではない。
周りに無機質に存在するような音楽です。
だから、辛くなったのは私の感情でしかないんだと思う。
無機質な音楽によって、感情があぶり出されしまっているような感じです。
この映画はもちろん無機質ではないんだけど、
見る側の人生があぶり出されてしまうという部分については、
ちょっとサティの音楽とも似てるところがあるかもしれないですね。
なんか感情に流された上に綺麗にまとまってる風になって気持ち悪い感じですが、
この生ぬるい気持ち悪い感じも含めて、この映画でした。
ってなわけで、もう一回見に行こうか考え中です。