ファッション嫌い

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ファッション誌を読むこともないし、服を選ぶのはめんどくさい。アクセサリーとか、化粧とか髪型にも興味が無い。私はおしゃれやファッションというものが大嫌いです。

基本的にインターネットか駅ビルでしか服は買わない。

最近になって試着というものができるようになったけど、無駄金使わないための確認程度。できるだけやりたくない。

外見なんて無ければいいと思っているので、なるべく人と同じ服で目立たないように、見えないように、ひっそりといたいと思う。

たぶんそれは、自分の外見が大嫌いなのが原因だと思う。どれくらい嫌いかというと、ガソリンかけて燃やしたいくらいです。

コンプレックスなんて誰にでもあるし、それくらいで立ち止まってたらいけないのは分かっているので、どうにかしようと色々やりました。だけど結局戻ってきてしまう。

私は自分の外見が大嫌い。中学生くらいのときは、この外見でいる以上は友達なんか出来ないし、ましてや恋人を作るとか結婚するとか不可能で、ずっと一人で生きていくしか無いと思っていました。というか、生きるつもりもなかったかもしれない。

乗り越えるためにやったものの中でも、言葉でいろいろと表現しようと試行錯誤したのはよかったかもしれない。大人になれば、どんな外見であろうとちゃんと話せば聞いてもらえるし、ある程度文章がかければ仕事でも認められる。インターネットでやり取りができるようになったのも大きい。言葉だけで自分がどういう人間なのかを表現できて、それを見てもらえるんだから、こんなに私にとって都合のいいモノはない。できればインターネットだけで完結して、カラダがなくなればいいのに、と時々思ったりもする。ほんと時々。

生きやすくなったはいいけど、でもやっぱり何かつっかえてる部分はある。私が人並みに幸せになりたいとか、間違っても望んではいけない、という思い込みは、刷り込みみたいに消えない。

だから、ファッションはすごく怖い。醜い者の存在は無視されていて、いないことにされているような感覚がある。ファッションというものは、街を歩くおしゃれしたカワイイ女の子たちのためのもので、私は、はなから相手にされていない。楽しむことを許されていない。ただただ周りに紛れるように、地味な服、無難な服を選ぶことしか考えていなかった。

そんなこと考えながら杉本博司展「ハダカから被服へ」@原美術館に行きました。

杉本博司の作品はもともと大好きで、ふわふわした学生時代に「海景」シリーズを見て衝撃を受けたのを覚えています。波の質感がものすごく美しくて、現実感がない。グッゲンハイム美術館国立西洋美術館といった建築の写真も、ぼんやりとしていて、実際にあるものなのに、存在しないイメージみたいに見える。その存在の曖昧さに魅了されるとともに、単にぼんやりしているのではない、という安心感がある。その安心感っていうのは、フィルム写真だからかも知れない。どんなに現実感がないものでも、実際に光がフィルムに焼き付いたものだから、それはモノとして間違いなく存在している、ということ。

今回の展示では、被服にまつわるジオラマシリーズの数点もあったし、他のものもあったけど、目玉は「スタイアライズド スカルプチャー」シリーズ。ガブリエル・シャネルイヴ・サンローランジョン・ガリアーノ、クリストバル・バレンシアガ、三宅一生などの作品を撮影したもの。服のしわのひとつひとつや、質感が大変に美しい。実物が美しいのはきっとそうなのだけど、杉本博司のやり方で撮影された写真は、やはり独特な美しさがある。ファッションってなんだろう、どうして服を着るんだろう。そんなことをじっくり、静かに考えるひとときでした。

答えは出ていないけど。

あと、いまちょうど上映している杉本博司のドキュメンタリー映画「はじまりの記憶」もとっても良かったです。

そんな風に、ここ2週間くらい、ファッションや見た目のことをずっと考えてきました。

私は自分を飾り立てるのは嫌い。でもそうじゃなくて、ただのマネキンに好きな服を着せるという考え方はいいかもしれない。

自分の表面の醜さは無視する。無いことにする。骨格と、動作だけがあって、それに好きなものをただくっつけるだけ。

服を眺めるのは好きだし、カワイイものはずっと見てたい。ただ、自分の見た目が介在するのがイヤというだけなら、存在しないものとして扱えばいい。

アルバイト先の店長に気に入ってもらえたのは、初出勤に、金色のサカナの形の斜めがけバッグで行ったからだし、何年も着ている服はちょっとエッヂの効いたものだったりする。目立たない、ということを目的として選んだ服は、買っては捨てて、また買って、を繰り返していて、あんまり意味が無い。もしかしたら、外見に関係なく好きな服を着ちゃえば、ファッションも好きになるかもしれない。どうせ私のことなんて誰も見ていないと思うので、勝手に好きなように着ちゃえばいいのかもしれないね。

それに外見が大嫌いというくせに、演劇やったりステージに立つのは大好きだし、その辺の我の強さを、もうちょっと服装にも移していってみたらいいのかもな、とようやく思えるようになってきました。

最近、友達に外見をからかってもらえてるのも良かった。醜さが特に友情にマイナスになってないというのは、自分で理解してるだけじゃ何の意味もないからね。

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