Jul 7, 2012

壁の中の隠れた部屋で


祖母は福岡のはずれで針仕事をしていました。

京都の有名な呉服屋の下請けで、買ったら数十万も数百万もするような着物を、一針一針手縫いで仕立てていました。

だから私の七五三の着物も、浴衣も、成人式の着物も、おばあちゃんの手作り。

染も伝統的なやりかただったりとか、大島紬、絞りの綺麗な着物。そこらの呉服屋さんの着物よりもずっと美しくて、子供のころからちょっと自慢でした。

私はずっと横浜に住んでいたので、おじいちゃんとおばあちゃんに会いにいけるのは年に一回くらい。あるときは久里浜からフェリーで、あるときは新横浜から新幹線で、時には飛行機で。

夏休みに頭のてっぺんに火が付きそうなほどの日差しで真っ黒になったり、冬休み、関東よりも早い雪にはしゃいだり、年に一度の九州への家族旅行は、一年のうちで一番楽しいイベントでした。

宮崎、福岡、長崎、熊本、大分。

お父さんの運転する車で、私はいつも必ず車酔いでぐってりしてたけど、構わないくらい楽しかった。

海はきれい、食べ物は美味しい。大好物のお魚も、馬肉も、お野菜も。父方の実家は大分で、山でとれたイノシシも食べた。

おじいちゃんとおばあちゃんの家は、知り合いの大工さんが作ったという変わった作りで、

おばあちゃんの仕事部屋は、玄関を入ってすぐ左。ドアノブを見つけられなければ、ただの壁だと思ってしまうほど細長い部屋。

ただでさえ狭いのに、大きな着物箪笥がぎっしり詰め込まれていて、人がすれ違うことなんて出来ないくらいでした。

そこで、小柄なおばあちゃんはちんまりと正座して、真剣な眼で一針一針、着物を仕上げていました。

小さな頃からずっと、私と弟はその部屋に入ることを禁止されていました。

縫い針が落ちていたら危ないから、というのがその理由で、

怖がりな私は針が足の裏に入る感触を想像しては震え上がって、

一度もその部屋には足を踏み入れることがありませんでした。

時々、おかあさんがその部屋でおばあちゃんと話していたけれど、

そんなときはなぜか聞いてはいけないような気がして、幼い弟といっしょに、足早に部屋の前を通り過ぎたりしてた。

20年くらいたって、初めてその部屋に入った時のこと。

最近、ある曲をきっかけにそのことを思い出します。

ドアを開けたら、おばあちゃんが座っているんじゃないか。なぜかそんな気がしました。そうあって欲しいという願いと、そうあってはいけないという思い。そっと開けると、着物の生地と樟脳の匂い。おばあちゃんが座っていた所だけがぽっかり空いていて、あとは布地や脱いだ上着なんかで畳が埋め尽くされていました。死んだ人の部屋とはこういうものなのか、と妙に冷静に考えていました。

ずっと隠されていた扉を私が開けてしまったせいで、微かに残ったおばあちゃんの気配も外の空気に紛れてしまってすっかり無くなってしまうようで、閉めきっておけばよかったという思いと、おばあちゃんが残したものを知りたいという思いの狭間で呆然と、している間もなく、テキパキした親戚たちに急かされて、わたわたと荷物を整理しました。

ドアの内側には、七五三の私と弟の写真が貼ってあって、真っ赤な着物と幼い笑い顔と初めての口紅が鮮やかでした。20年以上もずっとそこにあった、きっぱりと明るい紅色。

音楽をきっかけに、そんなこと思い出したりしました。なんでだろ。

友人のやってる、TamTamというバンドの曲です。

これは違う曲ですが、かっこいいのでぜひ。

7月7日は月ミルでリリパ、フジロックにも出演するそうです。

Posted in 日記No Comments » 

関連記事

Comment





Comment