Jul 10, 2012

オーディエンスの孤独


何かを生み出す事ができる人を尊敬している。

人は誰でも、人生のどれくらいの瞬間がそうであるかはまちまちだけれど、芸術家だと思っている。

すごく図々しいことだけど、私自信も、何かを生み出すその瞬間のために存在しているのだとどこか信じている。

だから今、何もできていない自分を直視できないところがあると思う。

友達のイベント、友達のライブ、友達の個展、友達の舞台、そしてお客さんとしてやってくる仲間とのおしゃべり、すべてかけがえのないもので、それがなければ日々に埋もれた自分を掘り起こして取り戻す事ができないと感じる。

だけど一方で、自分を取り戻す場所が、全部だれかが用意してくれたものでしかないということに、不安を感じることがある。

遊園地だとか観光地で「こうやって遊びなさい」と言われているかのような状態になると楽しめないのと同じように、

自分が自分であり続けるためには、誰かに依存しなければならないということの息苦しさがどこかにある。

モノを創り出す苦しさについては認識しているはずで、だからこそ場を作っている彼等を尊敬しているのだけど、

色々な思い、努力が積み上がったそのてっぺんに、ちょっとしたチケット代や酒代を払ったくらいで、でかい顔して居座る自分に憤りを感じる。

自分には生きてる価値がない、だなんて愚痴を言う人がいるけれど、そんな事言ったら私なんてほんとに価値がない。価値というか、意味が無い。高めの肉パックに乗ってるプラスチックの菊くらい意味が無い。もしくは、芯なしトイレットペーパーの中心部分の、固くて結局使えない部分くらい、といってもいい。どこまでも無意味な存在。

だから、これから必死で意味を見つけていかないといけない。愚痴ったり悩んだりなんてしているヒマ無いんだと思う。

仕事では、創る人と世間との橋渡しをするための力を身に着けていきたい。

だからマスの感覚が必要になる仕事もどんどんやりたいし、泥臭いテレアポとかもろもろ、細かい報告書なんかのことも、全部が大切。

時には自分にとって大事なモノを仕事のために犠牲にすることがあるかもしれないけれど、色々考えた結果、いまそれをやるだけの価値が、この仕事にはある。たぶん。

誰かに「君がいてくれて良かった」と思ってもらうためには、数年間だれからも見向きもされなくても、孤独で潰れそうになっても、愚直にいっこいっこ、目の前のモノに向かっていくしかないんだろうな。

日曜日、せっかく友達が頑張って用意した楽しい場で悩んで凹む、という、客として最悪のことをしました。しかも、ほんとはその会に行かずに、夜遅くまで仕事してなきゃいけなかったというのに、全部投げ出して行ったせいで怒られる、という最悪な事態に。主催者含む、その場にいたあらゆる人にご意見や励ましをいただく、という図々しいこともして、どうにかモヤモヤを乗り越えました。ほんとごめんなさい。

皆にちゃんと返せるように、しばらくはひとりで、ちゃんと頑張ります。

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