Aug 19, 2012

女の子たち、働く。


スイカが食べたい。

カットされてぴっちりラップをかけられて、スーパーに並んでるけど、どうしても一人で買って食べる気にはなれない。

まだ海も見てないし、山にも行ってない。夏らしいこと何もしてない。

だけどたぶん、9月に駆け込みで夏を実施する予定です。

終電を逃した金曜日、そのまま2時前まで仕事してからバルト9へ。

細田守監督『おおかみこどもの雨と雪』を観ました。

ファンタジー作品だと思って見に行ったけれど、そこにあったのは1人の頼りない女の子が母親になるまでの、とても生々しい13年間のストーリーでした。子供がこの映画をみてどう思うのか全然想像できないけれど、同世代の女の子たちには絶対に観て欲しい。

一人でしっかり苦学生をやっていた花が恋をして、妊娠して、つわりで苦しんでいるところに彼が作ってくれたうどん。お箸でつかむとほろほろ崩れるくらいやわらかくて、なぜかそのシーンで号泣してから終わりまでずっと泣いてた。

子供たちが自分の世界を見つけて親離れをしようとしている時、うわごとのように「あの子を私が守らないと」といいながら意識を失った花の目の前に彼が現れて、いままで立派に子供たちを育ててくれたね、と語りかける場面があって、ここでそのまま死ねたらなんて幸せなんだろう、と思った。

女の子の物語はいつもそうだ。

がんばってたどり着いた先には「幸せ」が待っていて、許される。

多くの場合は理想の男が待っていて、「今までよくがんばったね、もうそんなにがんばらなくていいんだよ」といわれて後は「幸せに暮らしました」で終わる。それが、少女たちの憧れのハッピーエンドだ。

だけど現実にはそんなことあり得ない。いつまでがんばり続ければいいのだろうか、いつか報われるのだろうか、いつになったら「もういいよ」と声をかけてもらえるのだろうか。ついそんな不健全な思いにとらわれてしまうのは、知っている物語のハッピーエンドがいつも「幸せ」でしかないから。わたしたちは幸せになるためにがんばっているんだろうか、幸せなんて誰にでも訪れるものではないのに、あてもなくがむしゃらにがんばるしかないんだろうか。やってくるかもわからない幸運を馬鹿みたいに信じて。

花の場合は、終わらなかった。子供たちが独り立ちして残された花はまだ32歳。そのあとの途方もない長い時間をどう過ごしていくのだろうか。そこが全く見えなくて、少し不安なまま、映画はそこまで。

近頃、働くことについて考えることが多くて、ふと『魔法少女まどかマギカ』の設定が、私たち働く20代女性と重なってみえていたことを思い出した。

魔法少女になる契約をしてしまったら、もう後には戻れない。つらくても、苦しくても、立ち向かっていくしかない。彼女たちは自分の体を投げ打って、それが人助けのためだ、なんて信じてとにかくがんばる。しかも、一人一人はすごく頼りない少女でしかない。幼さを強調するような作画で、それまでのアニメや漫画の大人びた作画だとあまり感じなかったような、危なっかしさがある。

その危なっかしさと、身を投げ打って戦うけなげさが、働く女の子たちに通じるところがあるように思えてならない。みんんなそんなに強くもないのに、若くてきれいな女の子たちなのに、とにかく必死で日々働いている。もちろん楽しい仕事だからがんばれるんだけど、体は壊れるし余裕はなくなるし気が休まることはない。

はじめはびっくりしたけど、20代後半になってようやく私も、そうやってがんばれるようになってきた。

今までがんばれなかったのは、根底にあった「自分はもう少し、いい思いをしてもいいのではないだろうか」という思い。怠惰な自分が大嫌いだから目をそらしていたけど、どこかでずっと、そう思ってた。たぶん、ずっと昔、子供の頃からどこかでそう思っていたかもしれない。勉強とか音楽とか舞台とか、たしかに努力はしてきたけど、それ以上に自尊心が強かったのかもしれない。「自分には、人並みに幸せになる権利があるはずだ」という、根拠のない思い込みがあったように思う。

私には、幸せなハッピーエンドを迎える資格があるだろうか。

自問自答して出した答えはシンプル。

そんなもの、ない。

ないと思っていた方が、健全な気がする。

3.11のとき、わたしはあんまり怖くなかった。いま揺れがおこって何か落ちてきたら、目の前の子連れのお母さんや、幸せそうなカップルの盾になって守ることくらいはできるだろう、と思った。周りの幸せな人たちの人生の黒子でいいから、とにかくできることをやるしかない。終わりなく、どこまでもがんばり続けるしかない。別に誰にも見えてなくても大丈夫。

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