Aug 20, 2014

ヨガを続けて見えてきたもの


アシュタンガヨガを続けて、1年弱になります。

スタジオに行ったのは数えるほどですが、朝、朝食をとる前に30分〜1時間ほど身体を動かします。

呼吸法や瞑想についても少しずつ練習していて、仕事が忙しい時、忙しすぎて身体を動かせないときは瞑想だけでも実践するようにしています。

ヨガをやれば一日気分がよく、やらないと身体も気持ちも重苦しくなる、と知ってしまったので、できる限り毎朝、少しでも身体を動かすようにしています。

もともと運動が大嫌いで、何をやっても続かなかったし、学生時代、部活動を選ぶときにも運動部は選択肢に一切入れないような私が、毎日運動していると思うと、信じられませんが、ヨガを始めてから、心身ともに変化がありましたし、人生も大きく変わった気がします。

この一年弱の大きな変化と言えば、

★6kg痩せた

★彼氏ができて婚約した

★心身共に健康を維持している

ということで、すべてヨガの影響が少なからずあるように感じています。

身体の変化と精神面の変化があり、その両方が影響してこの一年は人生がよい方に向いているように感じています。

体温が上がって、体調を崩しにくくなった

ヨガを本格的に始める前の私は、今思うと心身ボロボロでした。自律神経もホルモンバランスも乱れまくりで、朝起き上がれないこともあったり、生理も不順で来なくなったり、来たと思ったら重すぎる生理痛になやまされたり。

私の実践しているアシュタンガヨガは特に、身体を内からあたためることを重視します。ヴィンヤサといって、深呼吸にあわせて動いて、これでもかというくらい内蔵を刺激して動かします。ヨガを始める前は体温が35度台のこともあった私でも、今では36度台後半をキープしています。

また、「身体が固いからヨガなんてできない!」という人がよくいますが、私はヨガを始めた当初、手をまっすぐ上にのばすことさえできませんでした。今では二の腕で頭をぎゅっと挟んで両手をつけることができますが、酷い肩こりだったので、どうしても肘が曲がって、二の腕と耳がくっつくなんて想像もできませんでした。

なので、身体を気持ちよくのばす、休憩のポーズでもある「ダウンドッグ」が、当時の私には拷問にしか思えませんでした。

思えば、ヨガを始める前の私は、内蔵は冷えきって動きが弱り、筋肉も動かさないのでどんどん血行が悪くなって凝り固まっていて、どんどん悪循環にはまって行っているようでした。深い呼吸とともに少しずつ動かして行くことで、どうにか内蔵も正常な動きを取り戻して、全身に血が行き渡っている状態になっているようです。健康診断もオールAで、最近病院に行ったのは、汗でかぶれて皮膚科に行ったのと、歯医者の定期検診と、2月のインフルエンザくらい。前はしょっちゅう風邪をひいたり、自律神経系の通院もしていたのが嘘のようです。身体が活性化してくると、自然と性格も陽気になって、図々しくなって来たような気もしています。

他人や物への執着がなくなって気楽になった

ヨガの考え方の中に、移り変わる物に執着しない、というものがあります。

私は元々かなりのマイナス思考で、とにかく悪い方に物ごとを考えがちでした。劣等感の固まりでしたし、病気ではないものの、鬱状態におっこちて通院してなんとかよじ上って来て、というのを何年かの周期で繰り返していました。

ヨガをやっていて気付いたのは、心がざわざわしたり、ちくちくしたり、不安になったり、という、心の不快な状態の多くは「執着心」から来ているということです。

よく思われたい、ということに執着するあまり、他の人と比較して嫉妬と劣等感に苛まれたり、

友達や恋人に執着するあまり、つなぎ止めたいという気持ちが強すぎて、何かがあると嫌われたんじゃないか、と不安になったり、

物に執着するあまり、壊れたり失くしたり、ということに過剰に不快感を感じたり・・・

あげるときりがないですが、ヨガと瞑想を実践していると、不思議と何にも執着がなくなるようです。また、ヨガはポーズの美しさを競うような競技ではありません。誰かに見せている自分、自分の中に理想としてある自分、過去の自分、想像上の未来の自分、と、人は自分をいくつも持って生きているものですが、ヨガでは「今ここにある自分」に、とっちらかった自分を集約させていくようなイメージです。なので、集中して動いていると、スタジオなんかで隣に人がいたとしても、ほとんど目に入ってきません。その状態に慣れてくると、日常でも、自分と人とを比較するようなことは激減します。全くないとは言いませんが、ちょっとストレスを感じたときに「あ、いま人と比べちゃってるな」と気付けるようになっているので、自分のマイナス感情をうまくコントロールできるようになって来ているようです。

自分を偽らず、受け入れることができるように

また、それと近いですが、人に嫌われることが怖くなくなった、というのも大きな変化です。

以前は、人に嫌われるのが怖くて、人にあわせることに必死でしたが、今では自分を嫌いな人がいてもいい、と自然と思えるようになりました。「自分探し」と言いますが、「自分」なんて、見つけたところでそんなにいい物じゃありません。うんざりして、他の人になりたい、なんて思ってしまうようなどうしようもない存在です。どんな立派な方でも、自分を受け入れる、というのはなかなかできないことじゃないでしょうか。ヨガをやっていると、いい意味で諦めがつきます。「自分は身体が固いから、これ以上はできないや」「今の自分には、このポーズはできないな」と判断するからなのか分かりませんが、「これが自分だから、ま、しょうがないか」と諦めて受け入れられるようになるのです。

彼氏ができて婚約に至ったのは、この「ま。しょうがないか」が大きいような気がしています。自分に心底ぴったりな人にであった時、もしヨガを始める前の自分だったら、理想の自分とかけ離れた現実の自分を受け入れられず、現実の自分とぴったりくる相手を受け入れられなかったのではないかと思います。それは決して妥協というのではなくて、どうしても変えられない自分自身をいとおしんであげられることで、同じように人をいとおしむことができているのではないでしょうか。

ヨガを言葉で語るのは本当に難しくて、ヨガの話となると口ごもってしまいます。

だって、ヨガは実践する物なので。「これが正解」なんて物は無いので、各人が、自分で実践して、自分なりの学びを得て行くしか無いんです。なので、他の記事に比べてこれはとにかく書きにくかった・・・。

それでもいつか、言葉でもヨガを伝えることができるようになりたいので、ヨガについては今後もぽつぽつと書いて行きたいと思います。

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