多忙は怠惰の隠れみのである

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がーんと衝撃を受ける言葉に出会いました。

「多忙は怠惰の隠れみのである」という言葉。

 

糸井重里さんの昔のコラムです。

「多忙」な時っていうのは、
現実的な問題がいっぱいあって、
それを現実的に解決したり、
解決しかかっていたりしている状態だ。
そういう時というのは、達成感もあるし、幸福感もある。
ちっぽけなヒロイズムも満足させてくれるかもしれない。

だが、そういう時に欠けていきやすいものがあるのだ。
それは、おそらく「なぜ」という疑問とか、
おおきな視野とか、人間の感情とか、
なにかすぐには役に立たないような、
それでいて大事なことばかりなんだと思うのだ。
教養主義的な意味で言うのではないけれど、
「哲学」に関わるような問題が、
忙しいときにはすっぽり抜け落ちていることが多い。

「多忙は怠惰の隠れみのである」ということについて -ほぼ日刊イトイ新聞「ダーリンコラム」

 

このブログを見返すと、何度も何度も、がむしゃらに働き続けることに疑問を抱いているにも関わらず、相変わらずふと気づくと多忙の渦に飲み込まれている私…。

 

家に帰れないくらい忙しくなると、諦めのような気持ちと、甘ったるい気持ちと両方が押し寄せてきて、その間はなんとか乗りきれるけれど、忙しさを乗り切った後に、貴重な時間を無駄にしてしまったということ以上に、何か取り返しの付かないような、大事なものを損なってしまった、と後悔します。

 

何を損なっていたのか、いまいち言葉にできていなかったけれど、自分が生きていく上で特に大切にしたいと思っている「なにか」が壊れてしまうのです。

形にならない、人に価値と認められないかもしれないけれど、自分にとっては一番重要なもの。それをないがしろにして、失ってしまうような、どうしようもない気持ちになります。

 

果てしないように思われる「現実的な問題」に対処していくことで、思考停止に陥ってなんとなく甘ったるい気持ちも抱きながらヒーローにでもなったつもりで頑張って、でも「現実的な問題」には必ず終わりがあるので、終わってしまったときに「あれ、なんだったんだろう」と迷う感じ。

 

ちょうど読んでいるよしもとばななさんの『まぼろしハワイ』に、こんな表現もありました。「靴を履くのに靴紐を結ぶ」とか「お酒を飲むには、まず店に入って、座って、マスターに挨拶をして、メニューを見て、飲み物を決めて…」とか、何をするのにも「順番」があるということ。

私、あんたを育てたからずいぶんと若い頃にそれに気付いてしまったのよ。この果てしなく続く順番が、永遠かと思うくらい終わらないこの雑事が、人生なんだって。

まぼろしハワイ (幻冬舎文庫)

 

人生は、ある意味では現実的な問題の積み重ねなんでしょう。

会社の一員として、自分が納得していない「やるべきこと」の積み重ねに人生を費やしていくことって、つまり人生を人に明け渡してしまっているような、すごく心もとないことなんじゃないでろうか。

 

人の期待に応えようとすること、誰かに自分を認めてもらうためにがんばるということ。その危うさが別の角度からまた見えてきました。

 

多忙の渦に飲まれる癖はまだまだ解消できていないけど、今度こそは、大事なものから目をそむけずに、しっかり目を覚ましていたい。

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